2009年1月 |
ぼくは、「荒俣宏」を経て「水木しげる」になるのが夢なんです。
(糸井) ぼくらは、価値と無価値と反価値という、 この3つをそれぞれ持ってないと いまの社会で生きられないんだと思います。
ぼく個人は、これまでの経験から、おそらく 価値の作り方を よけいに学んできたのかもしれません。 吉本さんは、きっと3つ全部を 均等に意識していらっしゃると思います。
そして、吉本さんが 反価値について語っている部分さえも、 価値に変えてしまうことを、 ぼくはこれまで お手伝いしてきたんだと思うんです。
(糸井) 出版にしても、本当に残念ですが、 どうしてもそれだけでは食えなくなっている、 という現状があると思います。 例えばいま、1万冊というのは 単行本として悪くない売れ行きだと思いますが、 1万冊というのは 1500円の本なら1500万円のビジネスです。 著者にとっては150万円の話になります。 年に一冊、1万部売れる本が出たら、 みんなから「立派だね」と言われますが、 どうやって食っていくんだ、 という問題が残ります。
(吉本) そうですね。 やっぱり、そういうことを考えて、 なおかつできるのは、 やっぱり糸井さんしかいないです。 ぼくは、もう、 そういう真正面さみたいなのは 非常に貴重だなというふうに思います。
(糸井) みんな、こういうのを 「真正面」じゃなくて、「斜め」だと 思っているんですよ。
(吉本) そうなんです。そうだと思います。
(糸井) 悔しいですよ。
(糸井) ぼくは、「ただ」の力を、もっと信じてます。 本当に「ただ」でやるときは、 もっと「ただ」に対して考えて 慎重にならないとダメです。 「ただ」って、やっぱり いちばん高くなきゃいけませんから。
(吉本) そうそう。 ふつうの「ただ」じゃダメなんですよ。
吉本隆明全講演アーカイブ
ほぼ日刊イトイ新聞では、集まった吉本隆明さんの講演を、 フリーソフト化していく方向でプロジェクトを進めます。 何年かかるかわかりませんが、誰もみんなが 吉本隆明さんの声を聞くためにできることを、 着実にやっていくつもりでいます。
このプロジェクトの概要と進捗は 「吉本隆明 YOSHIMOTO TAKAAKI」のページで 随時お知らせします。
かつて多田先生に「武道家としてまず心すべきことは何でしょう」と訊いたことがある。 そのとき、長時間のインタビューを終えたあと、月窓寺道場の入り口に私たちは 立っていたのだが、先生は沓脱ぎに掲げてある木札をすと指さして「脚下照顧」とおっしゃった。 「足元を見ろ、だよ。内田君」 爾来、私は師のこの言葉を座右の銘としている。
武道は「石火の機」を重んじる。 訊かれたら即答。 その場にあるものをためらうことなく「それ」と指さして、 「これだよ」と言わなければならない。
ロラン・バルトが俳句について書いていた言葉を思い出した。 「俳句は純粋な単一の指示作用にまで縮減されている。(…) 一筆で、一気に引かれた線のように、そこには迷いもためらいもない。 (…)俳句は子供が指で何かを指し示して、一言『これ!』と言うときの仕草を 再現しているのである。」
禅林では「道」という字を「道う」(言う)とつかって、その公案の多くに「速やかに道え」と 迫る箇所がある。
……
一般には、禅にはヘーゲル弁証法やハイデッガー存在学との親密な通底器があるとされる見解が 強いものの、私はそういうヨーロッパの水を引いてくる哲学的解釈は禅から速度の快感をとりさる 危険があるとおもっている。
しかし、今の日本のメディアを見る限り、自分が100%国内仕様のライティングスタイルを 採用しているということをそのつど念頭に置いて書いている人はあまり多くない (ほとんどいない、と申し上げてもよろしいであろう)。 中には「英語で発信すれば世界標準になる」と思って、 「私はこれから英語でしか書かない」というようなとんちんかんなことを言う人もいる。
だが、世界仕様というのは要するに「世界市場に進出しなければ飯が食えない」という焦慮、 あるいは飢餓感のことである。
「私はこれから英語で発信して、世界標準の知識人になるのだ」ということを日本語で発信して、 日本の読者たちに「わあ、すごい」と思わせて、ドメスティックな威信を高めることを 喜んでいる人間は、夫子ご自身の思惑とは裏腹に、 頭の先からつま先まで「国内仕様の人」なのである。
失礼だけれど、骨の髄まで国内仕様でありながら、世界標準を満たしていると 思い上がっている人間は、自分が世界標準とまるで無関係な 「ドメスティックプレイヤー」であることを知っている人間より、 さらに世界標準から遠いのではないかという危惧はお伝えしておかなければならない。
「世界市場に進出しなければ飯が食えない」という焦慮、あるいは飢餓感を表した人を(プラスの意味であれマイナスの意味であれ)これまで全然見たことはなかった。
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