2004年9月 |
高校時代、3つのショックがあった。 … そしてもうひとつ、これはクラスメイトで一番親し い友に問われたことなのだが、「大審問官の問題をど う思うか」というものだ。「何、それ?」と聞き返し て、なんだ、カラマーゾフを読んでいないのか、話に ならないなと突っぱねられた。読んでいないのだか ら、これは最初からお手上げだ。それまで『罪と罰』 しか読んでいなかった。
…
さあ、これでどうだろうか、安田毅彦よ。 カラマーゾフを読んでないなんて話にならないと告 げた安田よ。早々に癌を背負って、さっさと八ッ岳の 地霊となって消えたいった友よ。 これでぼくはイヴァンにもゾシマにも、アリョーシ ャにもならずに済んだだろうか。ともかくも、これで おまえが大審問官でありつづけなければならなかった 仮の役割は、やっと終ったのだ。ここまで待たせてし まったこと、謝りたい。
九段高校の親友に安田毅彦がいた。高校時代は水泳 部のキャプテンをして、東工大に進んでからは建築土 木を専攻し、日本一の土木設計集団のパシフィック・ コンサルタントに入って将来を期待されたが、ソリが あわずそこを脱出、自分でフィールドワークをくっつ けた設計の仕事をしつづけいていた。高校のころから の数学の天才でもあった。ぼくに及ぼしたものが少な くない。 が、40代半ばで癌で死んでしまった。最後は八ヶ岳 の山麓に住み、自分の小水を一晩冷蔵庫で冷やしてこ れを毎朝一息に呑みほしていた。それが癌に効くとい う信念からだった。 その安田が宮本常一を確信していた。宮本常一のよ うに歩き、宮本常一のように考え、宮本常一のように 生きたいと言っていた。実際にも頑固な人生の後半を そのように送っていた。宮本常一の“存在”を確信し ていたのだ。その安田に「おまえも読めよ」と言って 勧められたのが『忘れられた日本人』だった。 実はそれまでにざっと読んでいたのだが、とうてい 安田のようには読めてはいなかったことを知っていた ので、黙って「うん、ゆっくり読むよ」と返事をし た。
この大作は、ぼくがまったく持ち合わせていない才 能と力量と意志で描かれている。それだけにこれを読 んだ高校時代のことが忘れられない。イシュメールに 逃げたのだ。 友人の安田毅彦はエイハブ船長に入っていったよう だ。「松岡はスピリットが好きなんだろう」と英語の 得意な安田はそう言った。そして加えた、「おれはソ ウルが好きなんだ」。これは痛かった。しかし、エイ ハブに入るとは、そのソウル(魂)を悪の起源にまで さかのぼり、そこからまさに銛でモービィ・ディック を撃つように、現実の闘争に逆上してこなくてはなら ない。そのうえでエイハブをイシュメールから眺めな おすということになる。 そんな強靭な読み方が安田にどうしてできるのだろ うか、と驚いた。しかし安田は『カラマーゾフの兄 弟』においてすら大審問官の側に立てた男だったか ら、あるいはエイハブの魂が痛いほどよくわかるのか もしれなかった。
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