2007年6月 |
彼ら(高級イタリア料理店の厨房で働く20歳代前半くらいの若者たち)のように、 自分のお金ではまず口にすることのない高級料理を仕事に選んでしまった若者と同様に、 僕が以前から不思議に感じていたのは、鮨屋の若い見習いだ。 …… 店を一歩でも外へ出たら……回転寿司に行くのがやっとだろう。 なのに、なぜ鮨屋を仕事に選ぶのか。
たとえばこれがスポーツなら、子供のときから才覚がはっきりと現れる。 そしてその能力に見合った段階を子供たちはひとつずつ踏んでゆき、 最終的に選ばれた者たちだけがそれを職業とする。 その先からが本当の競争になるわけでもあるが、 彼らの場合はあらかじめの体験を通して選別がおこなわれている。 鮨屋の見習いのように、まったく体験がないのに飛びこんだりすることはない。
…… 技術はよほど不器用でもない限り本人の努力しだいで身につくが、 やはりこのとき問題になるのは味覚だ。 その職人が体験的に言うには「子供のときに何を口にしていたかで、 ほとんど決まってしまうようです」ということだった。
…… 彼らは腕を上げるために見習いをしているというよりも、 負けることがはっきりとする日に向かっているだけなのかもしれなかった。
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