2010年6月 |
(英国のロイヤルソサエティつまり王立協会の) 会員(FRS)は会費を払うのであって、無料でもなくまた年金をもらうのでもない、 基本的に自腹を切って、場合によっては高額の寄附にも応じることによって成りたっていることです。 名誉系の組織はこうあるべきという代表例です。 国の丸抱えである学術会議や学士院とは根本的になりたちがちがうことに気がつかないといけません。
日本に科学を広めるためのそんな組織はあるのでしょうか。 残念ながらまったくないといわざるを得ません。…… 国の名誉をかけるのに、科学者がみずからやるのでなければ 他の国の人たちはそのような活動をどう見るのでしょうか。 …… 日本も国の成り立ちは似ているのですから、真似は出来るかもしれません。 でもそれは、科学者がみずからやるのでなくては。
日本の社会の中で、「指示待ち」だったり、「自分でものを考えない」、 あるいは「体制迎合的」だったりする傾向を批判すると、 「人にはいろいろいる」とか、「人はそれぞれだから」とか、 「指示待ちで生きたいという人もいる」などと現状を肯定し、 擁護する発言をする人がいる、と田森佳秀。
「人はいろいろだといわれると、確かに、何となく納得してしまうような気がするじゃないか。 ところが、アメリカに来て、ふと気付くと、 日本で人はいろいろ、と主張している人が想定しているような、 自分で考えたり行動したりすることができない人って、殆どいないんだよね。 みんな、自分で考えてるし、行動しているよ。 人はいろいろって、単にさぼるための理屈に過ぎないじゃないか。」
同じ組織にいて日々さぼることばかり考えてる奴の屁理屈には絶対に勝てないもっと別の頭の使い方しろよって。
ベンチャーできるようなインフラをつくってくださいなんて 言ってやるようなのはベンチャーじゃない
太陽がのぼる前に、ライバルが気付く前に、いけると、いけると、ああ
さぁ早く行こう、ここでいいのなら、僕は先に行くよ
太陽がのぼる前に、始めればイケる
さぁ早く行こう、とどまるのならば、僕は先に行くよ、一番先に行ける、僕らならば
もうずっとブログが更新されてないなとは思っていた丸山茂雄さん、実は大変だったみたい http://bit.ly/dlWCYB ブログ再開のご挨拶。名前は聞いたことのある丸山ワクチンの生みの親のご子息だったとは、何かすごいな。お元気なようで、よかったよかった。
MacBook ポリカーボネート ユニボディの世代別情報に相当するようだ。
初代 - 2009年10月発売 - Late 2009 - 10.6 Snow Leopard 標準(MC207J/A)
話は変わるが、最近、消費税とかの話が出てて、それに関して思うこと。見てる数少ない地上波テレビのたかじんの奴で、これ以上所得税が上がったら国外(ハワイ?)に出るってなことを言ってたと思うが、累進課税のレベルがここ30年くらいで金持ち優遇に過ぎないか?孫さんの金じゃないの方が共感だ。 5:03 PM Jun 26th via web
運営交付金の減少による予算不足のため、 「国立大学法人化前に比べて教員を 10 人以上減らさざるを得ない」という状況だという
京都大学理学部の教育・研究へ絶大なる御支援を
わたくしが沖縄と京大の二つで研究を続けるのに批判的なことを言われる 東京と大阪での大物の先生達が何人かいることは具体名もあわせて存在はしっていましたから、...
...わたくしが京大の染色体や細胞増殖の研究のための申請をするのは 「犯罪的だ」とまで難詰する人物が首都圏にいて ...
ここでいい機会なので、わたくしが沖縄と京大に二つのラボをもっていることを 決して犯罪的とおもってない理由も書いておきましょう。と言って「重複した研究は一切しない」と言ってるところを見ると、 やっぱりチャンスが2倍になってるのが犯罪だと言ってる「偉い」人がいた、 ということなのかな。でも2つラボ持ってたからって「チャンス2倍」とかって 仕組みなんだろうかね? (いわゆる科研費の仕組みを、結局、きちんと学ぶ機会を持てなかったので、知らんけど。)
国内の研究者で賞めてくれる人もねぎらってくれる人もいませんが 別にそれを求めてやってるわけではありません。 でもひとりぐらいにはねぎらってくれてもいいじゃないかと思ったことはあります。 結局いたのはひとり犯罪的だと言われたことです。人のことをほめない、陰口(gossipping)はする、面と向かうと何も言わん、そういうの。
辻原登氏の選評は大半を費やして『棺桶』を激賞してくれている。 過褒です……というのは表向きの謙遜で、ほんとうはうるっと来るくらい有難かった。の「ほんとうはうるっと来るくらい有難かった」という一節。
論争におけるマナーについて高橋源一郎さんがツイッターに書いていた。 私は高橋さんの提言に100%賛成である。ここに採録しておきたいと思う。いまからツイートするのは、ぼくが「政治的アクション・政治的言論」に関して原則とすべき、 と考えていることです。それは政治的事件や政策への批判、なんらかの提案、具体的な行動、等々、 政治に関する関わりのすべてを含む政治的アクションを起こすにあたって、 守るべきことと考えているものです。ぼくがこのような原則を採用している理由は、 60年代から70年にかけて、政治運動に参加していた時、 この原則を採用できず、悲惨な結果を招いたことがあったからです。 以後、ぼくは、これらを守るべき原則と考えるようになったのです。
- 原則1・「批判」は「対案」を抱いて臨むべし……政治的問題を批判する時、 単なる批判ではなく、なんらかの 「対案」を抱いてからあたるべきです。 「××の〇〇という政策は愚か」ではなく「××の〇〇という政策で、△△は評価に値するが、 □□は▲▲へ代替すべき」という語法で語るべきです。
- 原則2・「対案」は「原理的」「現実的」「応急」「思いつき」のいずれでも良し…… 政治的問題に「正解」はありません。ただ「最適解」が存在するだけです。 必要なのは、「最適解」に至る材料を提出することです。 「言わない」ことがいちばんまずいのです。なぜ、 批判だけするのか。
- 原則2続・ぼくたちが「批判」だけして、「対案」を出さないのは、 自分もまた「正解」を知らない、と思って いるからです。 「どこかに正解がある」と学校教育は教えます。けれど、政治的イッシューに 「正解」などないのです。だからこそ、なんでも「言ってみる」べきなのです。
- 原則3・「自分の意見」は変わるべし…「対案」として「自分の意見」を提出しても、 固執する必要はありません。というか、よりましな意見を目にしたら、 「即座に変える」べきだとぼくは考えます。なぜなら、 「対案」もまた「叩き台」にすぎないからです。一人より 複数の智恵を参考にすべきです。
- 原則4・「対立する相手」の意見にこそ耳をかたむけるべし…もっとも本質的な批判は、 対立者からのものです。だから、その意見にこそ耳をかたむけなければなりません。 同調者や支持者の意見は、耳に優しいものですが、自分の「対案」を、 「よりまし」にする力にはならないからです。
- 原則5・「寛容」をもって臨むべし……「対立」する意見を持つ「対立者」を 「敵」と考えてはなりません。 「対立者」もまた、同じこの共同体を構成する、 かけがえのない成員なのですから。だから、「非国民」「売国奴」「愚か者」のような 言葉を決して使ってはなりません。
現在にないものは永久にない (岡本太郎)それからこれも(ちょっと違うが)、そうだよね。
「遅ればせ」は「遅れ馳せ」
準備ができれば、いつだっていい。 いくら遅ればせだっていい。 そこに参上するべきなのだ。(松岡正剛)
千万人といえども我行かん (孟子)
頭髪は、強き意志の表れ。じゃあ、孫さんはかなーり不利なんではないかなあ...
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