2007年5月 |
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学会の存在の効用は、このような年会だけやってるのが、一番無難だと思います。 学会ゴロを作らないこと、これが一番大切です。
学会ゴロという言葉を知らない若い人のために説明しますと、学会ごろつきの略称です。 特に学会の会長とかその周辺がなんらかの権力をふるい出すと、 ほんとうにろくなことがありません。 ……
だから、わたくしも自分の研究者の一生とも言われるような期間、 そのような一種の「学会談合」がおきないような学会であらねばならない、 と不断に努力してきたものです。 ……
つまり、学会の権威とか結束力とかそういう類のものは言葉が汚くてすみませんが、 「くそくらえ」という気持でした。 研究者ひとりひとりが強ければいいはずです。
しかし、最近またぞや、そのあたりが非常に怪しくなってきています。 …… 個人よりも、学会のほうが安心できる、世の中らしいです。 わたくしなぞは、学会を代表してものをいう連中が もっともまずい連中という信念でずっときたものですから。
ひとつはペトロスキーが「コンピュータは福音であるとともに厄災を逃れられない」 と書いていることだ。厄災を逃れられないとは、 コンピュータはコンピュータ自身によって自分の誤りを気づかないという意味だ。 とくに設計がコンピュータに委ねられるようになって、 建築現場や工事現場の事故が多くなった。 そこでペトロスキーは、それはスリップ・スティックが使えなくなったからだと判断した。
スリップ・スティックとは計算尺のことをいう。 かつてはエンジニアの誰もがもっていた武器だ。 このエンジニアたちは計算尺が有効数字3桁でしか精度をあらわさないことを 知ったうえで設計にとりくんでいた。 誤差は予想のなかなのだ。ところがコンピュータになって、 この感覚が失われた。 コンピュータが正しい計算をしていると思いこむばかりか、 自分も正しいと思ってしまう。ペトロスキーはそこに文句をつけた。
もうひとつは、『人はだれでもエンジニア』の最後の最後に、 ジョージ・サンタヤナの次の言葉を引いていることだ。 サンタヤナは『理性の生命』にこう書いていた。 「過去を記憶できない者は、罰として過去を繰り返す」。
ペトロスキーはこの一文をあるところに見つけて、感動をおぼえ、 それが原文でどんな文脈にあるのかを調べた。そうしたら、その手前にこうあった。 「進歩とは、およそ変化からなるものとはほど遠く、よき記憶力によるものである」と。
シュレーディンガーは個性の強い学者である。 マトリックス力学の大うずにまき込まれずにこの人一人がドゥ・ブロイの仕事に深く注目した。 そして、物質波に対する波動方程式を作り上げ、それを解くことによって量子の問題に 答えが与えられることを示した。
シュレーディンガーはこのほぼ中間にあって、ほとんどその姿勢をくずさなかった 稀有の科学者だった。
世の中にはいろいろな人がいる。どうしても肌が合わない人というのは、誰にでもいるものだ。 … そういう人とは僕もあまり関わりたくないから、 「その人が僕の本を燃やして関係を絶ってくれる」ことは嬉しいことだ。
どちらにしても、誤読する人というのは、どう書いても誤読する。 … この場合、そのまま誤解してもらって、悪く悪く受け止めてもらって、 どんどん離れていってもらうのが望ましい。 これも悪い状況でもない(むしろ良い)。不愉快なことでもない。 過去10年間、この手法でどんどん良い環境に至っている。
嫌いな人に嫌いだと言われるのはプラスだ。 嫌いな人から好きだと言われるよりグッドだと思う。
キットで50万円。この購入には、奥様の理解の獲得が必須でした。 森の場合、500円玉を貯金箱に3年間貯めるというデモンストレーションの結果、 手に入れました。さて、何日に一回500円玉を入れたことになるでしょうか?とか書きそう。 答えはメールするな、という但し書き付きで。っことではなくて、記憶の片隅には 庭園鉄道のために作家になったという話 もあったし、そうか、こういう時代があったんだなと妙に安心したりもしたところだった。 その直後だけに、以下の記述に逆方向にのけぞった。
小説関係では、相変わらず、仕事を断っている。 … いずれも数百万円の小さな仕事で、気楽で楽しそうではあったけれど、 それに時間を取られるのは確実なので、いたしかたない。 一番大事なのはとにかく時間。捻出するわけにいかないから、 整理して、削れるものを削る以外にないのである。桁が違いすぎる。まぁこれを成功というんだろう。 人生の主導権は やっぱり(最低限の)お金だなと思う。
文芸の世界ではこれらの作法(研究者の作法)は全く通用しないばかりか、 むしろこの作法を破らないと生き延びることができない、という現実だ。
私はある時期から小説の巻末に参考文献一覧をつけるのをやめたが、 これは読者や評論家から強い批判があったためだ。 「文献一覧を載せなければ裁判で負けるほど、 この本は他の著書からぱくっているに違いない」と邪推されるのである。 研究において誠実であることを示す行為は、 他の社会にとっては悪事を覆い隠す兆候とみなされる。
たぶんまだ多くの科学者は論文を書くときとマスメディアで語るときで 「研究者の作法」を変えていて、そのことに全く疑問を感じていないんだと思う。 論文は大切だけれど、まあテレビの取材は適当に学生に任せておけばいいよね、 忙しいし、という感じになってしまっている。 それが「不作法」であることを、科学者はいまどのくらい自覚しているだろう。 しかし自覚したとしても、 「作法」を守っていたら確実にメディア業界では飢えて死ぬのである。
塩沢さんは30歳で舌がん、56歳で右乳がん、76歳で左乳がんと、 3度に渡ってがんを患ってきたが、3度とも手術で克服。壮絶な人生だったんだな。
館水槽での飼育日数は、初代遊ちゃんの3053日間に次ぐ、2505日間を記録。 海遊館には代わりに雄の「海くん」が運ばれ、10日から一般公開されている。「代わり」の「海くん」は、どこから運ばれて来たのかな。
話は違うが、いつも心がけていることがある。それは、第一印象は悪い方が良い、ということ。
あと、できるかぎり「初戦に負ける」ことも信条としている。
護憲と対米自立は同時に成り立ちません。 重武装・自立か、軽武装・依存か。
平和憲法を与えた米国が一九四八年に占領政策を転換すると、 吉田は「憲法上できない」と再軍備を拒否、代わりに基地提供を申し出る。 それが安保条約です。 復興優先で軍備に回す資金がなかったし、 米国の言うまま出兵して死者を出したくなかったし、 アジアを敵に回したくもなかった。
和(やわら)ぐを以て貴(たっと)しとし
Harmony is to be valued
人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。 かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。
Nor let us be resentful when others differ from us. For all men have hearts, and each heart has its own leanings. Their right is our wrong, and our right is their wrong. We are not unquestionably sages, nor are they unquestionably fools.
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