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基礎科学の博士研究員は総じて相当な薄給で経済的に恵まれなくても一生懸命はたらくものです。 日本社会がこういう人たちをぜひとも維持して養っていって欲しいものです。という風に、以前から感じているのだけれど。(当事者だから、甘い、のか?) 例えば、9/10/2005の
金に (普通の人ほど) 拘泥しない「博士」なんだから、 浅く広く、その分緊急に、アクションを起こせないもんだろうかとか、11/5/2006の
大学も既存企業も使いたがらないその層(オーバードクターなりポスドクなり)を うまく活用できる「仕組み」をこそ作るべきだ。とか
社会のパワーとなりうる人たち(の可能性)としての「オーバードクター」の存在とか。いわゆるフツーの、 greedy なサラリーマン指向の人たちより、 相対的に安く使えて、しかも内容にきちんと責任を持つ、そういう人たちを、 そのまま素直に使えばいいのに。というか、そういう仕組みを作り出せばいいのにな、と。
試写を見た映画評論家やベテランライターの評価は割れた。辛口意見から拾ってみる。
- 「自然破壊や道徳、反戦を真正面から扱った直近の3作と比べると、 愛と約束を守るというテーマは重要だが地味すぎる」
 - 「海が舞台の割にはスケール感がなく、高揚感も今ひとつ」
 - 「刺激に慣れた子供たちは同じ日に公開の『ポケモン』に足が向くのでは」
 
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『不白筆記』には「弟子ニ教ルハ守、弟子ハ守ヲ習尽シ能成候ヘバ、オノズト自身ヨリ破ル。 離ハこの二つヲ合して離れて、しかも二つを守ルコトナリ」とある。師が守を教え、弟子がこれを破り、両者がこれを離れてあらたに合わせあうというのだ。
……川上不白に「守は下手、破は上手、離は名人」などがあって……
初代の沢村宗十郎は「師匠は釣鐘のごとし、弟子は撞木(しゅもく)のごとし」と言った。本気で鐘をつけば、その音は里から山にまで届く。 鐘はそこにあるだけで、音を出すのを仕向けるのは撞木のほうなのだ。 ただし、「さあ、ここを突きなさい」と鐘も言う。それを撞木が突いていく。 その鐘の音はうんと遠くでも、よくわかる。 この宗十郎の言葉、いまでも肝に銘じている。
それでもぼくなりの定義は書いておいた。「型を守って型に出て、型を破って型へ出て、型を離れて型を生む」というものだ。 この「守って型に着く・破って型へ出る・離れて型を生む」の「に・へ・を」の助詞の変化に、 守破離の動向が如実する。
その千葉周作に『剣法秘訣』がある。稽古とは何かを説いたもので、そこに「序破急の拍子を追うよりも、守破離の筋目を通すことが稽古に欠かせない」という、守破離の思想にずばり突っ込んだ興味深い説明が示されている。
『剣法秘訣』の「理より入るは上達はやく、技より入らんするは上達おそし」を読んで、おおいに唸ったものだった。
武芸の例など剣をふるうことなんだから、 今日の知の学習や技の継承などに役立つまいと思う向きがあるとしたら、 これは勘ちがい、大まちがいだ。 剣にもスポーツにも編集稽古にも、 これらは「的中」という感覚におきかえられるからである。 世阿弥なら「感当」と、中江藤樹は「時中」と言った、あの正解のない感覚だ。 相互に的中感を奪いあう。稽古とは、結局はそういう「中」に「当てる」こと、なのだ。
(中森晶三の『けいこと日本人』、 なぜ稽古がおもしろいか、現代に必要かということ、について)
稽古事には「初心」というものが刻印されること、 もうひとつには「玄人も素人もまざっていける」からだという。 とくに素人が玄人を凌駕していく可能性がある。 それが稽古をつける側にもつけられ側にも「夢の共有」のような醍醐味になるというのだ。
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>|perl|
#!/usr/bin/perl
use Jcode;
sub adj_pics ($);
sub usage ();
sub execute ($);
$cmd_mv    = "/bin/mv";
$cmd_rm    = "/bin/rm";
$cmd_nkf   = "/usr/local/bin/nkf";
$output  = "index.html";
$tmpfile = "tmp.html";
@argv = @ARGV;
foreach $i (@argv) {
	adj_pics($i);
}
exit 0;
## sub routines
sub execute ($) {
    my $c = shift;
    print STDERR "$c\n";
    system($c) == 0 or die "failed: $c";
    1;
}
# adj pics
sub adj_pics ($) {
    my ($html) = @_;
    open(HTMLFILE, "< $html") or die "Cannot open $html";
    open(NEWHTMLFILE, "> $tmpfile") or die "Cannot open $tmpfile";
    while (<HTMLFILE>) {
	# convert input-line into utf8
	Jcode::convert ( \$_, "utf8");
	$line = $_;
	if (/<a id="d\d{1,2}-(.*)" name="d\d{1,2}-(.*)">/) {
	    $old = $1;
	    if ($old =~ /-/) {
		$new = $old;
		$new =~ s/-/_/g;
		$line =~ s/$old/$new/g;
	    }
	}
	elsif (/<a href="#d\d{1,2}-(.*)">/) {
	    $old = $1;
	    if ($old =~ /-/) {
		$new = $old;
		$new =~ s/-/_/g;
		$line =~ s/$old/$new/g;
	    }
	}
	elsif (/<a href="diary\d{4}_\d{2}.shtml#d\d{1,2}-(.*)">/) {
	    $old = $1;
	    if ($old =~ /-/) {
		$new = $old;
		$new =~ s/-/_/g;
		$line =~ s/$old/$new/g;
	    }
	}
	print NEWHTMLFILE $line;
    }
    close NEWHTMLFILE;
    close HTMLFILE;
    execute ("$cmd_nkf -j $tmpfile > $output");
    execute ("$cmd_rm $tmpfile");
    execute ("$cmd_mv $output $html");
    1;
}
||<
  
   (付記:うむ、 HTML ではせっかく escape した文字が、
   hw
   用に変換した際に
   戻っているようで、メタメタだな、もう面倒なので、これは放っておく。
   見たい人はこちらへ
   ……と思ったが、コードを書く方法はきっとあるだろうと見たら
   スーパーpre記法
   というのがあったので、一応そいつで挟んでおく。しかし
  ※「<||」「||>」は必ず行頭になるよう記述してください。とかって何が「スーパー」なんだろうな…… local rule は嫌いだ(って、文句言い過ぎ?))
perl html-mod-hatena.pl *.shtml一発で終わり。
やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ
話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず
やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず
山本五十六(1884-1943)
危険思想とは常識を実行に移さうとする思想である。というものだった。これを読んだ時の自分は、 この「常識」を上に書いた「人がどう考えているかという常識」ではなくて、 むしろ「自分が思ったこと」と解釈してたようだ(し、今もそう思っている)。
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