2005年9月 |
うーん、うまく言えてないなあ。 シンプルに言い換えると、日本が科学技術で食って行こうと、 大学も政府も企業も考えているのに、 なんで博士が使われずに余ってるの? 変じゃない?みんなが真剣に考えたら改善できるはずだぞ!これでどうか。これじゃ稚拙すぎるな。
自分は金のために博士になるわけじゃないと思う人の気持ちは尊重するけれど、 マクロでいえば、それなりの待遇を、国全体として整えるべきだ。
- 「当事者と違う場所でルールが作られ、 それが絶対的真理であるかのように受け入れられ、 そのルールに疑問を呈することはタブー視され、 現場では理由も示されず本質から外れた管理が行われていて、 …
… でたらめさを感じる時はいつも、 「権力」や「情報の隠蔽」が関係していそうだと気が付いたのです。」- 「自分が何かを運営してそれに他の人々が参加してくれることがあるならば、 できる限りこうした不便さを無くしたい、と常々思っていました。」
- 「ここで大事なのは、 「その情報を出すべきかどうか」を情報発信者が判断するのではなく、 全ての情報を出しておいて、 情報閲覧者が「その情報を読むべきかどうか」を判断すればよい、 と考えることです。」
- 「こうした姿勢がどこから来たのかを考えてみると、 このブログの最初の頃に触れた少年時代の情報の隠蔽への嫌悪感に近い意識や、 オープンソースプロジェクトに対する感動などが影響していると感じます。」
- 「ここで何を言ってもエアコンのスイッチのボタンを"ポチッ"と押して 設定温度を「27度」にすることは叶わぬ願いのようだ、ということでした。 一体館内にいる利用者や職員全員で汗を流しながら、 何を必死で守っているのだろうと思ったのは言うまでもありません。」
- 「僕は、…意見を言いたいと思いました。でも言いませんでした。
我ながらそれなりにまっとうな意見だったと思いますが意見を言わなかったのは、 「どうせ言っても聞いてもらえなさそうだ」というどうしようもない諦めがあったからです。」
Copyright (C) 1997-2018, Kengo Ichiki
twitter: @ichiki_k |