2004年4月 |
3女は2月1日、静岡県内の会場で同大人間科学部臨床心理学科を受験し、合格した。 3月になって、和光大(町田市)が3女の入学を不許可としていたことが発覚したため、 文教大で合格者の提出書類を調べたところ、 松本被告の娘と分かった。このため、同月24日に人間科学部の教授会を開催。 3女の入学許可を取り消すことを決めた。
いったん流出したデータの消去は現状では難しく、 ウィニーのネットワークには、日々新データが蓄積される “秘密文書の保管庫”が放置されている格好だ。
菊池寛の謎を解くことによって、夏目漱石の『こころ』にまで到達するのです。 なぜその後の日本文学がだめになっていったのかというと、 『こころ』の世界――不労所得で暮らしている先生と就職しない大学生の世界、 高等遊民の世界が、田山花袋の『蒲団』に代表される私小説の流れと 合流してしまったからなのです。そこには社会がない。
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文学は日本の産業を支えている世代に受け入れられるものとして なくてはならなかったのですが、漱石の『こころ』の世界と 田山花袋的な私小説世界が合流することによって、 日本の文学は、いわばフリーターのための文学になってしまいました。日本のジャーナリズムは現在もそうなのですが、 ずっと甘えの構造できている。
「文学部は法学部に食わしてもらっていてもいいんだ」 という甘えが作家にはあったし、いまもまだあると思う。 それは間違いです。 文学部がソフトウェアを開発して外貨を稼がないといけないのです。 既存の枠組みのなかで、自分は食わしてもらって当たり前、と平気でいてはだめですよ。
結局、みんな官僚のほうが偉いと思っているのです。 本当は作家やジャーナリストのほうが偉いのに。 その自信のなさが僕は情けないのです。
社会大衆党と近いフェビアン協会にいた人というのが、 大宅壮一とか木村毅とか、賀川豊彦の従兄弟の新居格といった人たち。 彼らは評論家でしたが、日本の社会の動きや大衆のことをじつによく見ている人たちでした。 菊池寛もまた、その位置にいた人だったということなのではないでしょうか。 日本がその後どんどん統制的な社会に変質していくなかで、 つねに批判的だった人たちの側に菊池寛もいた、という。
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自分のない人たちが、 そのつど海外の流行思想に影響され帽子を取り替えていたのとは対照的です。本気で3年やれば勝てるのです。 メディアにいったい何千人いますか? 大学の先生は何千人いますか? さほど本気でやっているとは思えないのです。 政策を変更させることは可能なのに……。
「新しい資格は、文科省が指定する研究機関で研究をしていると機関が認めることが要件」研究生はいけそうだな
「無給の博士研究員」
スペインなどに続きノルウェーがイラク駐留部隊の撤退を検討しているとされるという状況
- 「普通主義帝国」であり「常識主義帝国」である日本
- 見かけ倒しの都会ナゴヤでは、裏で何を言われるか分からない。
- こんな表面的決め付けの、客観性がない評価がまかり通る社会とは、 どんな差別的な社会なのだろうか。 そういう人々が多数派兼主流派という立場にあぐらをかく社会は、本当に恐ろしい。
ブッシュ大統領は現在までに、 テレビやラジオのCMを使った選挙活動に少なくとも5000万ドルを投じている。 … 世論調査を見るかぎり、反ケリー議員を掲げた広告は、 共和党による民主党批判と相まって、ケリー議員の不支持率を高めることに成功している。っていうフレーズ
そもそも純粋の一般市民が、人質らの自宅の住所・電話番号まで調べ上げて わざわざ嫌がらせするような暇なぞない。 何らかの政治的背景を伴って組織的に行なわれた可能性が高い。
大学間の異動が「転勤扱い」ではなく「新規採用扱い」にされようとしている事です。 これは退職金を安く抑えようとする意図なのだと思いますが、 そうすると誰も大学を移らなくなってしまうでしょう。
- 私はなるべく世間から遠ざかるように暮らしているのだが、 その私がこの春の宵に急に何かを話そうと思ったのは、 近頃のこの国の有様がひどく心配になって、 とうてい話かけずにはいられなくなったからである。
- 国も人もあまりに成熟を急ぎすぎている。 何事も成熟は早すぎるより遅すぎるのがいいのに決まっているのに、 これではとんでもない頓珍漢である。 (cf.6/18/2004)
- また、どうも直観を大事にしなくなっている。 直観というものは直観にはおわらないもので、 直観からそのまま実践が出てくることがある。 (cf.1/17/2005)
- そこに春泥があることを温かみとして沛然と納得するごとく、 何事もなかったかのように何かをすること、 それがおこなえればそれが善なのだ。 (cf.1/26/2001)
- 人と人のつながりなど、 最初につながりがあると思ったら、 そのままどこまでも進むべきなのだ。
- 日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。 こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、 幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。
- 仏教では、この「わからない」という知覚の一レベルのことを 「無明」(むみょう)というけれど、 この無明を連発するようになるようなら、 その人もその人が所属する社会も、混乱するか、 自分主義の社会になる。 たんに「わからない」と言わないで、 「無明」に謙虚にむきあって「無明の明」を知るべきだ。
- 童心というのは、伏せているものがはじけるように出てしまうものなのである。 満月を見ているとおのずからこみあげてくる微笑のようなもの、 幾つになっても蕾みが膨らむようにはじけて出てくるもの、 それが童心である。 これがなくては発明も発見もない。
- 私はこれまで11の数学論文を書いてきたのだが、 そのいずれの場合も、その研究の途中、 どこかで夢中に童心状態になっていたことを確認できる。 必ず、伏せられていたものが本当に明るみに出てきてくれたのだ。
ところがいまの風潮は、都合の悪いことだけを伏せるようになっている。 みんな、都合のいいことしか喋らない。 いや、それしか喋れない。 これはいったいどうしたものか。- 私は数学をやってきて、 独創というものがつねに「知」と「未知」の“あいだ”にだけおこることを知ってきた。 この“あいだ”に行くには、第1には「知」をもっと動ける状態にすることと、 第2には「未知」を何かで感じられるようにしておくという、 この二つのことが必要になる。
そー言えば、わたしは「行動するエンジニア」になりたかったのである。 評論家(悪い意味だ)ではなく行動するエンジニアになりたかったのである。
代表は「しかし、武装勢力内部に無条件解放に反対する勢力があるようだ。 日本政府が(米軍の掃討作戦が続く) ファルージャの住民被害について何らかの言及をするなど、 米軍との立場の違いを表明することで人質解放に応じる可能性があることを感じた」と述べた
なんと日本ではポストが一つの場合に1人のヒトが2人以上に推薦書を書くのは御法度らしい。本当に下らないローカルルールだな
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日本ではきっと推薦書は本当に推薦書なのだろう。 ということは内容はどうせおべんちゃらなので内容よりもむしろ誰が書くかが重要?
ところが、このニュース (谷山=志村予想) が世界を駆け回って 数学者たちを驚かせていたまさにその渦中、谷山豊が自殺をしてしまう。 女性問題の悩みだったらしいが、真相はわからない。 相手の女性も後追いをしているので"天才数学者の心中事件"とさえ言われた
それに、なんだか、もとから自衛隊の派遣に反対していたような人たちが、 今回の事件で尻馬に乗ったかのように声高に撤退を訴えるという構図は、 どうも見苦しく感じられてしまうので。
彼ら3人は、いってみれば「特殊」な日本人である。 「プロ市民」という2ちゃんねる用語があるけれど、 実際「市民運動」をしている人たちは、 「市民」と名乗ってるわりにはふつうの市民とはメンタリティが違っていることが多い (だいたい「市民」という単語を「ふつうの市民」は使わない)。 でも、そういう人を揶揄したり排除したりするというのは、ちょっと違うと思うのだ。
ただ、ダッカ事件の時は世論が超法規的措置を後押ししたのだけれど、 今回は「自分で退去勧告も出ているような危険な国に行ったのだから自業自得」と 世論が比較的冷ややかそうなのが気になる。
それは記憶と忘却ということだ。 記憶にも方法があるのだが、忘却にも方法がある。 どのように忘れるかということが、「われわれ」の現在をつくっているわけなのである。
- ★ 人生はマッチに似てゐる。重大に扱ふには莫迦々々しい。重大に扱はなければ危険である。
- 芥川は大上段の論理や大掛かりな人生をたえず瑣末で壊してみせようとしたからだ。 …
そこへ、漱石がそういう芥川をいちはやく褒めて応援した。 きっと瑣末の趣向を扱う切れ味に、なにがしかの機知と哀歓を感じたのだろう。 芥川もこの褒め方に鼓舞されて、生涯、 この漱石が褒めた感覚を忘れないようにしていたふしがある。 …
世の中では瑣末に見えることが、芥川にはたいてい大きく見えていたということなのだ。
- (cf. 10/13/2000 : ゴッホ)
- ★危険思想とは常識を実行に移さうとする思想である。
- (5/6/2004 : theorems に追加)
- … 35歳の死はやっぱりあまりに早すぎた。
- 「留(とめ)あはする事」をよく吟味する
- 「ひやうし」 (拍子) にそむくのが一番まずいことで、 そのために拍子をこそ鍛練しなさい
- 相手のことを知るには、その「先」 (先端) だけを知れ
- うつのうの字のかしらをおさへ、 かかるのかの字をおさへ、 きるといふきの字をおさゆる
- 自信がないときは、「角にさわる」「まぶるる」「かげを動かす」ということをしなさい
- とりわけ「縁のあたり」「場の次第」「けいきを知る」「渡をこす」が絶妙だ
- 人生にも「渡」があって、その「渡」が近いことを全力で知るべきだ
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